富士通の柏原竜二選手が現役を引退!! 27歳早すぎる決断!
柏原選手が引退を表明しました。27歳ということで、まだまだやれるとは思うのですが、残念です。しかし、今の東洋大学の一時代を築きあげたのは間違いなく、柏原選手だったでしょう。
引退の理由
引退の理由は、度重なる怪我のため復帰のメドが立たないということのようです。恩師などと相談した際、「引退は早すぎる」、「治療に専念してもう一度頑張れ」など言われたようですが、引退を選択したようです。長距離種目はやはりメンタルが一番重要ですから、本人の気持ちが引いてしまえば、無理して続けて行くことは難しいでしょう。
ここからは私は憶測ですが、思ったことを書いていきたいと思います。
箱根駅伝の影響
これは少なからずあったと思います。東洋大学時代の柏原選手は本当に強かったです。箱根駅伝で4年連続で5区区間賞。チームも3回の総合優勝を果たしています。箱根駅伝を得て、一気にスター選手になったことは間違いありません。しかし、スター選手なった分、周囲からの期待やプレッシャーは相当だったと思います。もともと自ら目立つ事を好むような選手ではなかったと思いますので、なかなか自分のペースで競技に集中する事が出来なかったような気もします。
「山の神」の称号
この称号は一番、本人とって重かったのではないのでしょうか。栄誉なことかもしれませんが、せっかく実業団入っても箱根駅伝の影響は薄れる事は全くありませんでした。今回の引退も「2代目山の神」として扱われていましたし、実業団でどんな結果を出そうが、「山の神」の名前がつきまとっていた事は本人にとって辛かったと思います。
以上の事を勝手に考えて見ました。引退の本質的な理由は本人の語った通り、怪我が治らない事が大きな要因だと思います。しかし、大学時代に際立った選手ではなかったら、もう少しじっくりと競技と向き合う事が出来たのかもしれません。
柏原竜二選手は本当に凄い選手でした。決して山上りだけの選手ではなかったですし、本人が富士通に入社するとき目標にしていた「オリンピック出場」も実現可能な選手だったと思います。ただ、ほんの少しのボタンの掛け違いによって、上手くいかなかったような気がします。
先日、同じく東洋大学OBの設楽啓太選手が実業団に入社後、上手く行かずにコニカミノルタを退きました。一方で双子の弟である設楽悠太選手は、実業団入社後、オリンピックに出場するまでに成長しました。
大学時代はともに大活躍していた2人ですが、別々の道に進んでここまで状況が変わってしまうのです。本当に何があるかわかりません。
今後も有力な選手たちが大学から実業団へ羽ばたいていくと思いますが、しっかりと自分を見失わずに頑張ってもらいたいと思うばかりです。